らしくないこと
「……私が呼び出した時刻は午後四時だったと思いますが、藤堂錦」
冷たいめがねフレーム越しの視線に、鮫のような歯を見せてけろりと笑う。
「あァ、そういやそうだったかもなァ。でもほら、四時は四時だ。かわんねェだろォ?」
そのあまりにもふざけた発言に立花は、はぁとため息をついてから、無造作に俺にカルテを突き出した。一番上には俺の写真、そのほかにも数人の写真が含まれている。見たことがあるやつばかり、つまりほぼ実戦部隊の人間みてェだった。
立花は眠いのか、それともこんな夜に男子寮に忍び込んできたことに呆れているのか、顔を歪ませた状態で、俺の格好をじろじろと見る。そうして軽くその大きな手で俺の頭にチョップを食らわした。らしくない様子に一瞬ぽかんとする。
「その格好で男子寮に忍び込むのはやめなさい。盗人だと思われて捕縛されますよ」
「んだァ? こんなん普通だろォ?」
改めて自分自身の格好に視線をやれば、黒の薄いタンクトップに履きなれた感のする五分丈のパンツ。足元は適当につっかけてきたトイレのスリッパで、一般人が侵入したとは思われないように、頭の上に申し訳程度に軍帽が乗せられている。小学生、つかガキスタイルといわれようがあんまり気にすることもなかった。
「……せめて下着は身につけなさい。寮内で脱ぐのはやめろと寮長にいわれているでしょう」
「男子寮だからいいだろォ?」
「……そのカルテにはさんだ写真の人物と、チームを組みます。公式戦のためのものですから、一時的だと説明するのも忘れずに。リーダーはネアン・シニフィエ。詳しい説明はそこに明記されていますから、ひとりに一枚渡しなさい」
見事に無視された。
さくさくと説明する言葉のひとつひとつに頷き、最後にこくりと頷く。それから顔を上げて問う。珍しく私室に戻っているらしい立花だったが、奴はいつもどおりのくたびれた白衣を身に纏い、うとうとと舟をこいでいたようだった。わずかに開いた背後の部屋からは、うっすらと小さな明かりが漏れている。これからまた研究か。物好きな野郎だなァと思う。
「今からいっていいんだろォ?」
「明日にしなさい」
「もう明日だぜェ?」
「……言い換えましょう、朝六時以降になさい」
「わかった。んじゃァ、ま、ほどほどにして寝ろよォ」
一瞬狼狽したようにちらりと視線を背後に向けたのを知りながら、さっさとその場を後にする。渡されたカルテにはさまった写真をぱらぱらとめくれば、今伝えにいったほうがよほど早いような気がした。
「めんどくせェなァ……」
ぽつりとつぶやいた言葉が、早朝の男子寮の廊下に落ちる。ぺたぺたとスリッパが立てる足音は、変に間抜けに聞こえて、これから軽い戦争が始まるだなんて、思えないほどだった。
「……ほんと、めんどくせェ」
「よォ、ネアン。今日も朝から人気ボーカルはべらせて幸せそうじゃねェの?」
「……お前の目にはそう見えるの? これ? なあ藤堂?」
「ちょっとネアンさん! 幸せじゃないとかいわないよね!?」
ときどき見かける風景を食堂で無事に見つけ、二人の前に座っていた野郎共を蹴飛ばして場所を奪ってそこに腰掛ける。片手で持つトレイにいつもより食器が少ないのは、昨日の夜食料庫をあさったのがバレたからだ。ケチくせェ。
赤い髪の男と桜色の髪の女。最初がネアンにあとが桜花。説明するまでもなくわかりやすいコンビだ。目下桜花がネアンに熱を上げているらしいが正直どうでもいい。酒の肴にするだけだが、今日は俺もあんまり機嫌がよくないのでさっさとネアンに紙を押し付けながら飯を食い始めた。
「ん、これは?」
「立花から。てめェがリーダーなんだろォ? 罠設置する場所は立花が指定すっから俺らにやれってよォ。他の面子ももう知ってんだろォ?」
「ああそれか。わかった、追って連絡する。それまでに他に通達よろしくな」
「わぁってんよォ」
「ちょっとネアンさんそれ何? 錦も教えてよ」
やたらと食いつきのいい桜花の顔面めがけて、箸にはさんでいたらっきょを吹っ飛ばして黙らせる。いやうるさくなっただけだったけど、まァいいやァ。
「錦ィ!!」
「はいはいガキは黙ってなァ。ガキがいるとろくに飯も食えねェぜ、ったく。じゃあなァ、ネアン、桜花」
「ガキガキいうな!!」
「おう、よろしくな、藤堂」
さっさとトレイを持ち上げてまた場所を移動する。いつも俺が座ってるところには人はおらず、安心してそこで少ない飯をかっこみながら、はーあと嘆息した。戦争だ、なんて大げさにいうから思わず身震いしたってェのに、しょっぱなからこんなしょぼい戦闘たァ、つまんねェもんだ。
「ったく、不愉快だぜェ」
「おーい、ここにクレインっつう女いるかァ?」
訓練場で暇そうな野郎をとっ捕まえて尋ねながら、目で赤紫色の髪を探す。
とっ捕まえられた野郎は最初驚いたように目を見開き、のちにあわてて敬礼して話してくれた。その顔はかすかな恐怖に歪んでいる。くっだらねェ。
「はっ、今、あちらの訓練場で訓練していたようであります!」
「わかった。ありがとなァ。……おいそれからてめェ」
「ななんでしょうか」
「いちいちびびってんじゃねェようっぜえなァ! ぶん殴っぞクソガキ!! 軍人ならてめェより強い野郎にもびびってんじゃねェよ!」
いらいらと勝手な苛立ちを八つ当たりとわかりながら吐き捨てて、その軍人を睨みつける。青ざめた顔があまりにも馬鹿らしく、こんな奴がこの軍にいること自体にいらいらと、ただいらいらとむかつきが増した。どんなに歳食ったところで、理解できねェ奴にはできねェのかよ。
俺の怒鳴り声が聞こえたのか、訓練場は水を打ったように静まり返っていた。遠い射撃場から聞こえる小気味いい音くらいしか、響くものはない。ち、と舌打ちしてその場を去ろうと振り返れば、目の前には俺の肩をたたこうとしていたらしいクレインが、ぽかんと口をあけてたっていた。
「に、にっしー? 大丈夫? 珍しいね怒ってるなんて」
「……怒ってねェよォ。てめェ探してたんだ、来いや」
やめろと何度もいってるのにそのふざけた呼び名を呼び続けるクレインの変わらなさに、どうしてかほっとしながら顎で彼女を促す。訓練場にいた軍人のことなどすっぽりと頭から抜け落ちる。もともと単純な頭なのだ、二つのことを同時にできるはずもない。
「え、うそうちにっしーに怒られるようなことなんかしたっけ!? うっわごめん、まったく身に覚えがないごめん!」
「……なんでだろうなァ、俺ときどき一回お前をガチで殴りたくなるんだわァ」
「えええええ何それ横暴だよ!」
「……冗談だァ。んで、立花から軽い指令だ。俺とお前と、あと衛兵のヴィネルに指令出した張本人の立花、それからリーダーのネアン加えてチーム組むらしいぜェ。俺たちは立花の指示した場所に罠仕掛けて、あとんなって罠かかったか調べる。理解できたかァ?」
ばばばっと説明しとかなければいけない事項を説明し、小首を傾げれば、彼女は一度眉をひそめ、それからこくんと頷いた。
「うん、わかった。その罠を仕掛けるのはみんなで行くの?」
「……詳しいことはこれ見ろってよォ。俺はヴィネルに声かけに行くけど、あいつどこいるか知ってっかァ?」
「ヴィネルくん? なら多分射撃場にいると思うよ」
「わかった、ありがとなァ。んじゃ」
そのままくるりと振り返って歩き出そうとすると、いきなり背後からぐいっと肩を掴まれてあわてて背後を振り返る。ったく、この女、どっちが年上か忘れてるんじゃねェだろうなァ。苛立ちをこめて睨めば、彼女はにかっと笑顔を浮かべた。その不意打ちの、なんの気負いもない笑顔に思わず目を見開く。あァ、そいやこいつも、シウと一緒なんだよなァ。
「あのさ、何があったのか知らないけど、にっしーらしくないよ! 戦争だっていってたけど、もうちょい気構えなくてもいんじゃない? にっしーはにっしーらしくやんなって!」
ね? と無邪気に笑いかける声に、思わず苦笑がもれる。年下のそいつの赤紫色の髪をくい、と引っ張って、痛いと叫ぶのを聞いてから手を離す。
「なっにすんの!」
「おめェに慰められるほど落ちぶれちゃいねェよォ。……でも、まァ、ありがとな。んじゃとっととマシに戦えるよう訓練してこいやァ」
「うっわむっかつくー! あとで悔し泣きしても知らないんだからねー!!」
そう叫ぶクレインをおいて、さっさとその場をあとにする。さっきよりは幾分か、気分はマシになっていた。
「ヴィネル、いるかァ?」
射撃場の鋭い撃音に耳を軽くふさぎながらそこに足を踏み入れる。異様な緊張感に包まれるここは、訓練場よりもよほど集中力が高まるらしい。その中を平気で突っ切って、わずかに緑がかった黒髪の青年を探す。俺からすれば十分背の高い野郎は、銃を手にして目標を見ながら目を細めていた。突き刺すような殺気を心地よく感じながら、しばらく黙ってそれを眺めている。
パンッ―――……。
鋭く重い音がして、的を見やれば的確に射抜かれた穴から、硝煙がうっすらと昇って見えた気がした。軽い拍手をして存在を主張する。ちろりと向けられた目によっと片手を挙げれば、それが自分に対してだと気がついたのか、奴は軽く会釈するようにしてその手を止めた。
「ヴィネリア=カナッドだろォ? っつうよりヴィネルだっけかァ」
「……何か?」
「研究員の立花って野郎知ってっかァ? そいつから軽い指令だァ」
言葉にヴィネルは眉をひそめて俺を見やる。
「衛兵の僕に?」
「あァ。公式戦だかなんだかあんの知ってるかァ? それにお前を使いたいらしいぜェ。リーダーは偵察隊のネアン、他は実戦のクレインと俺と研究員の立花な。リス用の罠仕掛けにいってあとで回収するだけだァ、簡単だろォ?」
「そんな簡単なものをどうして貴方がたがやるんですか?」
「人手が足りねェ、ってえのと、戦闘にもなるだろうからだよォ。仕掛けは目立つもんだからな、鋭い野郎にはバレる。せっかく手に入れたもんを盗られるのは腹立つだろォ?」
面倒くさいと思っていることを隠しもせずに、ヴィネルの眼前に立花から渡された紙を押し付ける。奴は一瞬ぽかんとし、それから軽いため息をついてそれを受け取った。
「わかりました。これは指令なんですね?」
「さっきいっただろ。んじゃァ、よろしく頼むぜヴィネル」
そういい捨ててそのままさっさと射撃場を去る。ふあーあと大あくびをかましながら研究室に寄って、立花の顔面にカルテをたたきつけてからとっととそこを出た。
「ほんっと、めんどくせェよ」
それからしばらくして、リス捕獲用の罠を仕掛けにいくことになった。場所はネアンが立花から受け取って、それを個々に配置することになり、めんどくせェと文句をいいながら俺も軍の敷地を出る。今回は別段軍服を着る理由もなかったから、私服で設置場所へと足を運んだ。
ついた先の木にするすると登り、適当に罠を仕掛ける。そのままぼんやりとその木の上から眺めていると、何も知らない鳥が枝先に止まって、俺の存在に気づくとギャアギャア鳴きながら飛んでいった。それを舌打ちしつつ見過ごしてやりながら、ふとそいつが落としたものが木の枝にたたきつけられた。そのままずるりと落ちそうになる赤い物体を、何の気なしに手のひらで包めば、それは確かにリスの姿をしていたようだった。
「……カラスに食われたのか、お前」
どくどくと赤い血があふれて、形状はもはやいまいちわからない。抉り出された内臓の赤色だけが目に焼きついて、苛立たしく思うくせに、捨てることもできなかった。仕方なく木からすべり下りて、木の根元に埋めてやることにする。こんな行為を自分がするなんて理解できずに、土を掘り返す。
そのまま埋めてやろうとそこに横たえらせたときになって、そのリスだった生き物の首に巻かれたものに気がついた。それを解いて取り上げると、ころり、と星のバッジが手の中に納まる。今回のゲームにおいて、大事なものだった。
「……お前がこんなとこに寝てたら、他に誰も来なくなるだろうが」
ぽつりと呟きながら、そいつの体を埋めてやる。らしくねェことしてんなァなんて苦笑をもらしながら、そっとその生き物に土をかけた。それからもう一度木に登って、あとで立花に怒られようと思いながら、その場をあとにする。
すこしだけ、不快感は消えていて、
代わりにほんの少しの寂しさを、感じていた。
「ほんと、らしくねェやァ」
冷たいめがねフレーム越しの視線に、鮫のような歯を見せてけろりと笑う。
「あァ、そういやそうだったかもなァ。でもほら、四時は四時だ。かわんねェだろォ?」
そのあまりにもふざけた発言に立花は、はぁとため息をついてから、無造作に俺にカルテを突き出した。一番上には俺の写真、そのほかにも数人の写真が含まれている。見たことがあるやつばかり、つまりほぼ実戦部隊の人間みてェだった。
立花は眠いのか、それともこんな夜に男子寮に忍び込んできたことに呆れているのか、顔を歪ませた状態で、俺の格好をじろじろと見る。そうして軽くその大きな手で俺の頭にチョップを食らわした。らしくない様子に一瞬ぽかんとする。
「その格好で男子寮に忍び込むのはやめなさい。盗人だと思われて捕縛されますよ」
「んだァ? こんなん普通だろォ?」
改めて自分自身の格好に視線をやれば、黒の薄いタンクトップに履きなれた感のする五分丈のパンツ。足元は適当につっかけてきたトイレのスリッパで、一般人が侵入したとは思われないように、頭の上に申し訳程度に軍帽が乗せられている。小学生、つかガキスタイルといわれようがあんまり気にすることもなかった。
「……せめて下着は身につけなさい。寮内で脱ぐのはやめろと寮長にいわれているでしょう」
「男子寮だからいいだろォ?」
「……そのカルテにはさんだ写真の人物と、チームを組みます。公式戦のためのものですから、一時的だと説明するのも忘れずに。リーダーはネアン・シニフィエ。詳しい説明はそこに明記されていますから、ひとりに一枚渡しなさい」
見事に無視された。
さくさくと説明する言葉のひとつひとつに頷き、最後にこくりと頷く。それから顔を上げて問う。珍しく私室に戻っているらしい立花だったが、奴はいつもどおりのくたびれた白衣を身に纏い、うとうとと舟をこいでいたようだった。わずかに開いた背後の部屋からは、うっすらと小さな明かりが漏れている。これからまた研究か。物好きな野郎だなァと思う。
「今からいっていいんだろォ?」
「明日にしなさい」
「もう明日だぜェ?」
「……言い換えましょう、朝六時以降になさい」
「わかった。んじゃァ、ま、ほどほどにして寝ろよォ」
一瞬狼狽したようにちらりと視線を背後に向けたのを知りながら、さっさとその場を後にする。渡されたカルテにはさまった写真をぱらぱらとめくれば、今伝えにいったほうがよほど早いような気がした。
「めんどくせェなァ……」
ぽつりとつぶやいた言葉が、早朝の男子寮の廊下に落ちる。ぺたぺたとスリッパが立てる足音は、変に間抜けに聞こえて、これから軽い戦争が始まるだなんて、思えないほどだった。
「……ほんと、めんどくせェ」
「よォ、ネアン。今日も朝から人気ボーカルはべらせて幸せそうじゃねェの?」
「……お前の目にはそう見えるの? これ? なあ藤堂?」
「ちょっとネアンさん! 幸せじゃないとかいわないよね!?」
ときどき見かける風景を食堂で無事に見つけ、二人の前に座っていた野郎共を蹴飛ばして場所を奪ってそこに腰掛ける。片手で持つトレイにいつもより食器が少ないのは、昨日の夜食料庫をあさったのがバレたからだ。ケチくせェ。
赤い髪の男と桜色の髪の女。最初がネアンにあとが桜花。説明するまでもなくわかりやすいコンビだ。目下桜花がネアンに熱を上げているらしいが正直どうでもいい。酒の肴にするだけだが、今日は俺もあんまり機嫌がよくないのでさっさとネアンに紙を押し付けながら飯を食い始めた。
「ん、これは?」
「立花から。てめェがリーダーなんだろォ? 罠設置する場所は立花が指定すっから俺らにやれってよォ。他の面子ももう知ってんだろォ?」
「ああそれか。わかった、追って連絡する。それまでに他に通達よろしくな」
「わぁってんよォ」
「ちょっとネアンさんそれ何? 錦も教えてよ」
やたらと食いつきのいい桜花の顔面めがけて、箸にはさんでいたらっきょを吹っ飛ばして黙らせる。いやうるさくなっただけだったけど、まァいいやァ。
「錦ィ!!」
「はいはいガキは黙ってなァ。ガキがいるとろくに飯も食えねェぜ、ったく。じゃあなァ、ネアン、桜花」
「ガキガキいうな!!」
「おう、よろしくな、藤堂」
さっさとトレイを持ち上げてまた場所を移動する。いつも俺が座ってるところには人はおらず、安心してそこで少ない飯をかっこみながら、はーあと嘆息した。戦争だ、なんて大げさにいうから思わず身震いしたってェのに、しょっぱなからこんなしょぼい戦闘たァ、つまんねェもんだ。
「ったく、不愉快だぜェ」
「おーい、ここにクレインっつう女いるかァ?」
訓練場で暇そうな野郎をとっ捕まえて尋ねながら、目で赤紫色の髪を探す。
とっ捕まえられた野郎は最初驚いたように目を見開き、のちにあわてて敬礼して話してくれた。その顔はかすかな恐怖に歪んでいる。くっだらねェ。
「はっ、今、あちらの訓練場で訓練していたようであります!」
「わかった。ありがとなァ。……おいそれからてめェ」
「ななんでしょうか」
「いちいちびびってんじゃねェようっぜえなァ! ぶん殴っぞクソガキ!! 軍人ならてめェより強い野郎にもびびってんじゃねェよ!」
いらいらと勝手な苛立ちを八つ当たりとわかりながら吐き捨てて、その軍人を睨みつける。青ざめた顔があまりにも馬鹿らしく、こんな奴がこの軍にいること自体にいらいらと、ただいらいらとむかつきが増した。どんなに歳食ったところで、理解できねェ奴にはできねェのかよ。
俺の怒鳴り声が聞こえたのか、訓練場は水を打ったように静まり返っていた。遠い射撃場から聞こえる小気味いい音くらいしか、響くものはない。ち、と舌打ちしてその場を去ろうと振り返れば、目の前には俺の肩をたたこうとしていたらしいクレインが、ぽかんと口をあけてたっていた。
「に、にっしー? 大丈夫? 珍しいね怒ってるなんて」
「……怒ってねェよォ。てめェ探してたんだ、来いや」
やめろと何度もいってるのにそのふざけた呼び名を呼び続けるクレインの変わらなさに、どうしてかほっとしながら顎で彼女を促す。訓練場にいた軍人のことなどすっぽりと頭から抜け落ちる。もともと単純な頭なのだ、二つのことを同時にできるはずもない。
「え、うそうちにっしーに怒られるようなことなんかしたっけ!? うっわごめん、まったく身に覚えがないごめん!」
「……なんでだろうなァ、俺ときどき一回お前をガチで殴りたくなるんだわァ」
「えええええ何それ横暴だよ!」
「……冗談だァ。んで、立花から軽い指令だ。俺とお前と、あと衛兵のヴィネルに指令出した張本人の立花、それからリーダーのネアン加えてチーム組むらしいぜェ。俺たちは立花の指示した場所に罠仕掛けて、あとんなって罠かかったか調べる。理解できたかァ?」
ばばばっと説明しとかなければいけない事項を説明し、小首を傾げれば、彼女は一度眉をひそめ、それからこくんと頷いた。
「うん、わかった。その罠を仕掛けるのはみんなで行くの?」
「……詳しいことはこれ見ろってよォ。俺はヴィネルに声かけに行くけど、あいつどこいるか知ってっかァ?」
「ヴィネルくん? なら多分射撃場にいると思うよ」
「わかった、ありがとなァ。んじゃ」
そのままくるりと振り返って歩き出そうとすると、いきなり背後からぐいっと肩を掴まれてあわてて背後を振り返る。ったく、この女、どっちが年上か忘れてるんじゃねェだろうなァ。苛立ちをこめて睨めば、彼女はにかっと笑顔を浮かべた。その不意打ちの、なんの気負いもない笑顔に思わず目を見開く。あァ、そいやこいつも、シウと一緒なんだよなァ。
「あのさ、何があったのか知らないけど、にっしーらしくないよ! 戦争だっていってたけど、もうちょい気構えなくてもいんじゃない? にっしーはにっしーらしくやんなって!」
ね? と無邪気に笑いかける声に、思わず苦笑がもれる。年下のそいつの赤紫色の髪をくい、と引っ張って、痛いと叫ぶのを聞いてから手を離す。
「なっにすんの!」
「おめェに慰められるほど落ちぶれちゃいねェよォ。……でも、まァ、ありがとな。んじゃとっととマシに戦えるよう訓練してこいやァ」
「うっわむっかつくー! あとで悔し泣きしても知らないんだからねー!!」
そう叫ぶクレインをおいて、さっさとその場をあとにする。さっきよりは幾分か、気分はマシになっていた。
「ヴィネル、いるかァ?」
射撃場の鋭い撃音に耳を軽くふさぎながらそこに足を踏み入れる。異様な緊張感に包まれるここは、訓練場よりもよほど集中力が高まるらしい。その中を平気で突っ切って、わずかに緑がかった黒髪の青年を探す。俺からすれば十分背の高い野郎は、銃を手にして目標を見ながら目を細めていた。突き刺すような殺気を心地よく感じながら、しばらく黙ってそれを眺めている。
パンッ―――……。
鋭く重い音がして、的を見やれば的確に射抜かれた穴から、硝煙がうっすらと昇って見えた気がした。軽い拍手をして存在を主張する。ちろりと向けられた目によっと片手を挙げれば、それが自分に対してだと気がついたのか、奴は軽く会釈するようにしてその手を止めた。
「ヴィネリア=カナッドだろォ? っつうよりヴィネルだっけかァ」
「……何か?」
「研究員の立花って野郎知ってっかァ? そいつから軽い指令だァ」
言葉にヴィネルは眉をひそめて俺を見やる。
「衛兵の僕に?」
「あァ。公式戦だかなんだかあんの知ってるかァ? それにお前を使いたいらしいぜェ。リーダーは偵察隊のネアン、他は実戦のクレインと俺と研究員の立花な。リス用の罠仕掛けにいってあとで回収するだけだァ、簡単だろォ?」
「そんな簡単なものをどうして貴方がたがやるんですか?」
「人手が足りねェ、ってえのと、戦闘にもなるだろうからだよォ。仕掛けは目立つもんだからな、鋭い野郎にはバレる。せっかく手に入れたもんを盗られるのは腹立つだろォ?」
面倒くさいと思っていることを隠しもせずに、ヴィネルの眼前に立花から渡された紙を押し付ける。奴は一瞬ぽかんとし、それから軽いため息をついてそれを受け取った。
「わかりました。これは指令なんですね?」
「さっきいっただろ。んじゃァ、よろしく頼むぜヴィネル」
そういい捨ててそのままさっさと射撃場を去る。ふあーあと大あくびをかましながら研究室に寄って、立花の顔面にカルテをたたきつけてからとっととそこを出た。
「ほんっと、めんどくせェよ」
それからしばらくして、リス捕獲用の罠を仕掛けにいくことになった。場所はネアンが立花から受け取って、それを個々に配置することになり、めんどくせェと文句をいいながら俺も軍の敷地を出る。今回は別段軍服を着る理由もなかったから、私服で設置場所へと足を運んだ。
ついた先の木にするすると登り、適当に罠を仕掛ける。そのままぼんやりとその木の上から眺めていると、何も知らない鳥が枝先に止まって、俺の存在に気づくとギャアギャア鳴きながら飛んでいった。それを舌打ちしつつ見過ごしてやりながら、ふとそいつが落としたものが木の枝にたたきつけられた。そのままずるりと落ちそうになる赤い物体を、何の気なしに手のひらで包めば、それは確かにリスの姿をしていたようだった。
「……カラスに食われたのか、お前」
どくどくと赤い血があふれて、形状はもはやいまいちわからない。抉り出された内臓の赤色だけが目に焼きついて、苛立たしく思うくせに、捨てることもできなかった。仕方なく木からすべり下りて、木の根元に埋めてやることにする。こんな行為を自分がするなんて理解できずに、土を掘り返す。
そのまま埋めてやろうとそこに横たえらせたときになって、そのリスだった生き物の首に巻かれたものに気がついた。それを解いて取り上げると、ころり、と星のバッジが手の中に納まる。今回のゲームにおいて、大事なものだった。
「……お前がこんなとこに寝てたら、他に誰も来なくなるだろうが」
ぽつりと呟きながら、そいつの体を埋めてやる。らしくねェことしてんなァなんて苦笑をもらしながら、そっとその生き物に土をかけた。それからもう一度木に登って、あとで立花に怒られようと思いながら、その場をあとにする。
すこしだけ、不快感は消えていて、
代わりにほんの少しの寂しさを、感じていた。
「ほんと、らしくねェやァ」