犬にちょっかいかける狗

 ふと、思い立って歩き出してから、なぜかいつの間にか見たことのないところに立っていた。
 ごちゃごちゃと雑多な場所は、掛け合う言葉も少しなまりが見られたりと、中央街や軍の敷地ではありえない光景だ。それを眺めながらふらふらと足を進める。どんっとぶつかった相手に舌打ちをされても気に留めず、あたりをきょろきょろと見回していた。鋭い嗅覚を刺激するにおいだけは我慢がならない。鼻にしわを寄せながら進む。
 そしておもむろに視界が開けた。でかい家、っつうかなんか建物が建っている。その前には二人、番犬といわれているらしい門番たちがなぜかわいわいと騒いでいた。黒い髪の青年と緑の髪の少年。黒髪のほうの手には斧がある。それを認めると知らず唇がつりあがった。
 近くの壁際に腰掛けてじっと二人を見つめる。ここが紅龍会の本拠地なら、こんなあっさり来ちまえるってのも問題だろ。
 いやそもそも軍服着てねえんだから当たり前か。
 ふいに二人の視線が同時にこちらに向いた。これで俺が偵察だと思われてたら笑えんなァ。くはっと笑いながら大あくびをかましてみたら、二人は同時にいらついたようだった。面白い。
「おいお前」
 帽子をぐいっと下げて顔を隠す。どうせ軍だとはバレちゃいねえんだから、まあ何をやっても構わないだろう。そのままにやにやと笑いながら、応えなかった。近づいてくる二人分の足音を聞きながら、考える。どうやって遊ぼうか。
「お前だよ、お前!」
 声が近くなった、と思ったらすぽっと帽子がはずされる。顔を上げれば緑の髪の少年が、いらついたように睨んできた。おお、おお殺気立っちまって怖いねェ。
「なんだよォ?」
「お前この前もこの辺うろついてただろ。怪しい」
「なんだァ、ただの不審者まで取り締まってんのかてめえらは? そういうのは軍の仕事じゃねェのかァ?」
 にやにや笑って尋ねれば、少年はぐっと詰まる。正論に弱いなんざまだまだガキだなァ。
「お前どこのもんだ。ギルドじゃねえだろ、あいつらはここまで入ってこねえ」
 黒髪の青年のほうが目つきを鋭くして尋ねた。ああめんどくせえ。
「だからといってこんな浮浪児みてェな野郎は軍にゃあ見えねえだろォ? ただの一般人さァ」
 帽子を乱暴に奪い取りながらにやにやと笑う。明らかに胡乱気に見られたがまぁなんでもいい。軍服着てなきゃただの一般人っつうのはみんなそうだろうが。
「じゃあなんでこの前もうろついてたんだ、お前」
 少年、つかガキのほうがそう口を尖らせて尋ねてくる。その琥珀の瞳を見てにやにやと笑ってやった。いらっとあのお決まりのマークが彼の頭に浮かぶのが手に取るようにわかる。
「暇だから歩いてただけだよ。それも規制できんのかてめえらマフィアは?」
「そんなわけないだろ。というよりお前がうろついてんのこっちでも迷惑かかってんだよ、自重しろ」
 黒髪のほうが赤い瞳を細めて呆れたような口調でそういう。そういやこいつもしょっちゅう面つき合わせてんだよな、ここら辺で。にやりと笑いながら両手を挙げて肩をすくめる。
「そういわれてもなァ、暇だからからかいに来て何が悪ィんだよ」
「「悪いわ!!」」
「お前ら仲いいなァ」
「誰のおかげだと思ってんだお前は!」
「俺だろ?」
「なんでそんなドヤ顔してんだよ……っ!」
 脱力したような二人を見てげらげらと笑う。さすがにその様子に二人の顔つきが変わった。おおオオさっすがマフィアだな、怖いねェ。
「なんにせよ、あんまうろついってられっとこっちも迷惑なんだよ。ちっとは考えろ」
 黒髪のほうにむっとしたような顔つきでたしなめられてもはん、と笑って応えるくらいしかやることはない。
「無理だなァ、俺も狗だかんな」
「はあ? 狗? お前どう見たって人間じゃん。獣人でもねえし」
「そういう問題じゃねェよ。ま、お子ちゃまにゃあわかんねえ話だなァ」
 にっと笑って緑の髪をぐりぐりと乱暴に撫でる。うわわわわやめろってざけんな! とかいう言葉は耳には入っていない。黒髪の青年のほうは引きつった笑みを浮かべてそそくさと離れていたが、助けないあたりどうなんだおい。
「だぁああっふっざけんなガキ扱いしやがって! 俺はガキじゃない!!」
 むきいいいっと突っかかってくる緑をいなしつつ、ふあーあと大あくびをすれば、黒髪赤眼が呆れたのか頭痛がするのか眉間に手を当ててため息をついていた。そいやァこいつこないだもいたなァ。
「黒髪のおにいさんよォ、お前こないだもいたよな」
「しょっちゅう面つき合わせてるわっ! お前まさか今の今まで忘れてたのか!?」
 あ、マジだった。
「悪ィな、俺頭悪いから覚えてらんねェんだわ。今度は忘れねェように名前教えろよ」
「……俺、前に名乗ってやった覚えあんだけど」
「ぎゃはははっそりゃ悪かった。で、名前は?」
 爆笑してから促す。赤色は、あんまり好きじゃないが、見つめ返すこいつの目なら、別に気にならなかった。それはただ単に、あのどろりとした液体じゃないからなのだろうが。においもしない、赤。
 一瞬互いの目を捉えた瞬間、ようやく頭を撫で続けていた緑がぶちギレたのか両腕が目の前に突然生える。そして大声で、
「俺を無視すんなぁっっ!!」
「あァ、悪ィな、チビすぎて目に入らなかったぜ」
「ふっざけんな! そういうお前だって俺と大して身長変わらねえだろ!」
「俺154、お前は?」
「うぐっ……」
「おいおい、どうしたよ、いってみろよォ?」
「う、う、うるっせえええ! 三センチなんてあっという間だからな! それからっ俺はガキじゃない! パンテラだ!」
「は? 何? ぱんちら?」
「ぶっ」
「……笑ってんじゃねえよ夕夏の馬鹿! 知るか!」
 ぷいっとそのまま走り出したパンテラを見送って、ふあーあと大あくびをする。つうかマフィアの門番があっさり戻っていいのかよォ、そう思ったら門前払いを食らっているようだった。しょぼしょぼ歩く緑髪を眺めつつ、ふいに名前を呼ばれて振り返る。引きつった笑みを浮かべたネアンがそこには立っていた。
「に、錦……お前……、っていやいい! いや、あははすみませんね、こいつにはちゃんといっておくんで!」
 ぐいっと腕を掴まれてそのまま歩くよう促される。抵抗する意味もなく、おうと頷いてついていけば、背後から夕夏の声が飛んできた。
「おい、お前の名前は? 俺にだけ名乗らせたのも二度目だぞ!」
「錦、藤堂錦だ。じゃあなァ、夕夏」
 振り返りもせずにそう笑って、ふと隣を見やれば、ネアンが深いため息をついていた。大きい体からは疲労が漏れ出している。
「なァに疲れてんだ、ネアンよォ」
「……誰のせいだと思ってんだよ馬鹿……。あんまり偵察みたいな真似はすんなよ? 俺たちも困る」
「偵察じゃあねェよ。遊びにきただけだ」
「その遊びが偵察になるんだよ、ったく」
「まあまあ別に迷惑はかけねェから安心しろよ。なァ、ネアン」
 掴まれていた手がようやく離され、いつの間にか中央街まで来ていたことに驚く。ほんっとこいつ足速ェよなァ、と隣の軍人を見上げれば、彼はん、と首をかしげてきた。うらやましいほどでかい野郎だ。あいつくらいに。
 ……もう、どこにもいない、あいつくらいに、でかかった。
「……また、訓練手伝ってくれよォ、ネアン」
「珍しいな、お前が頼んでくるなんて」
「そういうときもあんだよ」
 軽く笑えば、隣に立つ背の高い軍人は、おう、と目を細めて頷いた。優しい声だった。
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