彼の見つけた赤いそれ

 機械というものに思考回路の復活が存在するというのなら、断線していた回路が再接続された瞬間のことを指すのだろう。
 きれいとは言い難い肌色のコーティングが引きつりながら彼の目が開いた。製作者の望み通りの姿をしていることが圧倒的に多い機械人形たちと同様に、彼もまた長い睫毛を有し美しい顔立ちというものを体現してはいるが、剃り上がった頭にある醜い火傷という欠点が造型美を損なっていた。しかし本人は髪という糸上の繊維がなくなったことになんら関心を持ってはおらず、真っ先に視界が捉えた桜色の髪の少女だけを見ていた。青い双眸が少女の朱色めいた眼差しを認識した途端、彼の中の言語分析回路がジジリと音を立てた。
 少女の姿は彼が断線された記録の中でも珍しい服装と顔立ちをしていた。桜色の髪は腰を超えるほど長くひとつの太い注連縄のように編まれている。朱色の両目の下には三つの三角形が刺青として連なり、青い筒上のピアスをひとつずつしていた。琥珀色の襟と明確なラインを形作る四角形の中は、額につけた布地と同じ深い紺色だ。くすんだ空色の上着とは別に身体にフィットしたボディと、太腿を晒してから先はひらひらと広がる形のパンツになっている。鮮やかな色合いはくすんだ国である北ではよくあるが、しかし少女の髪色のように淡い色は早々あるものではない。北の人間ではないのだろうか。
 唇を動かすための筋肉を動かそうと彼が必死になっている中、狭い空間にいたもうひとりの人物が声を上げる。彼が視線をそちらに動かすと、もじゃもじゃとした茶色の髪に同色の口髭をたくわえぐるぐると指で落書きしたかのような眼鏡をかけた男が目に入った。これまたくすんだ青色のツナギを身に付けた男は彼が目覚めたことに気がつくとふふんと満足そうに鼻を鳴らした。
「V857-06という自己コードは覚えておるな?」
 動かなかったはずの筋肉が動いた。明瞭な言葉は彼の思考回路とは関係なくプログラミングされたとおりの言葉を返す。本来機械人形に思考回路などないのだから当然の事実だ。しかし彼は突如口からこぼれた声がどこから出たのかを認識しうることはできない。それこそプログラミングされたものだから当然のことではあるが、彼には理解ができなかった。
「当機体はV857-06。製作者、ジジッ、ッチ」
 ぶちぶちとした途切れ方は明らかに声帯における断線ではなく意図したものなのだろう、と彼を修理した男は考えた。身体のパーツが一時期広く流用された型番であることを考えると、もしかしたら有名な機械整備士の失敗作なのかもしれない。男には判別できないが、彼もまた製作者の顔など覚えてはいないだろう。一度――彼の横に座り込む桜色の髪の少女を見やりながら――この少女によって誤って蓄積記録の消去がなされてしまったのだから。
 男がふむと楽しそうに笑ったのに対して少女は彼の上半身のほうへと身を乗り出した。心配そうな表情というものをしているのだと、彼は作られたデータベースの中から人間の表情分析データを割り出し理解する。と、同時に目覚めてから今の今まで出てこなかった言葉が解析されたデータの中から声帯を通り吐き出された。
「姉さん」
「え?」
 青い彼の双眸は少女の朱色を捉え、もう一度同じ言葉をつぶやいた。
 唯一無二の真実だと言わんばかりの口調で、彼はつぶやいた。
「姉さん」
 ぼくの、姉さん。


「ここがイカロスの翼? の、集会所ですかー。うーんマリー姉さんかトリーくんはいますかね……」
「姉さん、マリーと、トリーって、誰ですか」
「一族同士で仲良くしている一族の、僕と一番仲がいいお姉さんと、幼馴染の男の子ですよー。たぶん君のことをああだこうだいったりはしませんから、安心してくださいね」
「ぼくのことは、構いません。姉さんの、なんですか」
「大事な友達ですよー。ウィサットも仲良くしてくださいね?」
「……姉さんが、そう、望むなら」
「その微妙な沈黙はなんですか? ふふっ、君もなんだか人間らしくなってきましたね」
「そう? ですか」
 ええ、とキロは微笑んだ。その笑顔を直視した青い双眸を持つ機械人形――V857-06というコード名を持ちキロによってウィサットと名付けられた――は、また断片的にどこかの回路が熱をあげたことに気がつき意図的に温度を下げるよう接続を飛ばす。
 黙り込んだウィサットの大きな手を掴んでキロは集会所の中をすたすたと誰にもぶつかることなく歩む。ウィサットという機械人形はキロよりも頭ひとつと少し分ほど背が高いこともあって、キロが手を引いているとまるではやる妹が兄を無理やり連れ出したようにさえ映る。しかしウィサットの無感動な顔と、ある種慈愛のこもった笑みを常に浮かべるキロとではやはり彼女のほうが年上に見えるようだ。
 集会所を迷うことなく歩くふたりの姿は徐々に注目を集め始めることになる。南の群島が作り上げた自衛隊であるイカロスの翼の制服を着ていないのだから当然といえば当然ではあるが、さらにウィサットのひとり飛び出る様子が人目を引いたのだろう。
 無論ウィサットにそういった様子はわからないが、しかしだからといって視線に気づかないわけではなかった。背の中に埋め込まれたチップの数々が、突き刺さる視線が悪意のあるものか否かを高速で判断していく微細な音を聞いていると、ウィサットの手を引いた少女の足が止まった。同じように速度を落とした彼を振り返るとキロはにこりと笑う。
「君が大きいおかげで気付いてくれたみたいです。ありがとう、ウィサット」
「どう、いたしまして」
 ふふと笑いを漏らす彼女の背後に、柔らかな水色の瞳と髪を持つ褐色の肌の中性的な顔立ちをした少年と、橙がかった金髪に明るい褐色の肌の少年が、ふたりとも赤い制服に身を包んで現れた。水色の瞳の少年はキロに驚きの眼差しを向けており、そして同じくウィサットを警戒するように見ていた。金髪のほうの少年はというとキロをじろじろと見る一方でウィサットの巨体に驚いているようでもある。
「キロ」
「ああトリーくん! 元気にしていましたか? お久しぶりです、もしかして僕より大きくなったり……してませんか?」
 水色の瞳の少年――トリーというらしい――の声にキロが振り返り、それはそれは嬉しそうな顔をした。ウィサットからだと彼女の笑顔は見ることはできないが、その声の温度を聞けば彼女が心の底から喜んでいることが理解できる。
 改めて彼はデータを更新することにした。すなわちキロという彼の「姉」は、トリーという少年に会うと喜ぶということをだ。
 トリーはキロの言葉にむっとしたように眉をひそめ、オレが小さいみたいな言い方やめろよなと文句をいう。彼の視線がウィサットへと移行する前に、キロは彼自身が身にまとう服装にコメントした。
「自警団、でしたっけ? まさか君が入るなんて思っていませんでした」
 静かな声にトリーはわずかにう、と言葉を詰まらせる。うろうろと視線は彷徨うがそれでも結局はキロの目をはっきりと見つめ返していった。
「オレだって守りたいもんがあるんだよ。お前んとこが一族みんな守りたいみたいに」
 棘はこもっていないはずの声だった。しかしキロはわずかに気配を乱し、諦念を滲ませた笑いを漏らした。
「……そう、ですよね。ごめんなさい、トリーくん」
「別にいいけど」
 通じ合う何かがあるのかわからないが、幼馴染だというふたりから同じ空気が漂い始めた頃、それをぶち壊す声が響いた。ウィサットはその声に意識がもうひとりの少年に引き戻されることがわかり、キロのデータを更新するたびに熱くなる回路がまた熱を発していたことに気がついた。
「なぁなぁなぁなぁなぁなぁトリー!!! オレに紹介してくんねえの!? この子誰!? こいつ誰!?」
 びしっびしっとキロとウィサットを指差してトリーへと首をぐりんと振る金髪の少年に、トリーは面倒くさそうに顔を歪めるとおもむろにキロの目を捉えた。
「ねえキロ、こいつ誰?」
「そうだった、紹介しなければいけないですね。僕の弟のウィサットです」
「「は?」」
 ふたりの少年の声がハモる。それはそうかもしれない。なにせウィサットという機械人形は身長約百八十はあるという巨体で、しかも目の色は青だ。キロが一族の中で最もヤモリを体現しているために赤みがかった朱色の瞳を持つということを除いたとしても、彼女の一族では生まれ得ない色の瞳である。それにトリーとキロは互いに長い付き合いがあり、彼女に兄弟がいないことなど当然の事実のはずだった。
 しかしここにきての、弟。顔が幼いということもない。むしろトリーの姉と同じくらいの歳に見えるだろうという顔立ちなのに、弟。
 ふたりの少年の疑問を当たり前のように受け止めて、キロはにこりと笑っていった。
「北の廃墟で拾ったんです。本当は北の友人のところへ置いておくつもりだったんですが、彼たっての希望と僕自身急がねばならなくて、連れて行くことにしたんです。でもトリーくんに会えてよかった。紹介しておきたかったんです」
「人間じゃないだろ、こいつ」
 単刀直入に言い放つ言葉には、しかし今度ばかりは棘が滲んでいた。まわりの様子をまったく意に介せず互いの再会を喜んでいたことがまるで嘘のように、すっと気配が変わる。まわりも聞いていないかのように振る舞ってはいたが、トリーの言葉に幾人かが振り返ってウィサットを目視したことが窺えた。
 キロはそうですねと何の気負いもなく肯定する。
「ええ、人間ではありません。機械人形です」
「敵だろ」
「君が敵だと判定する基準は機械人形か人間か、ではないでしょう」
 淡々とした言葉にトリーは表情をわずかに緩めた。そうかもなといいながら出ようと促す。
「ここで話すにはちょっと面倒な話だろ、それ。なんでいきなり話すかな」
「聞いてきたのは君じゃないですか」
「オレじゃないし、あいつだし」
「オレのせいにすんのかよ!! ひっでえ!!」
「うっさいよ馬鹿!」
 ぎゃんぎゃん子どものようにふたりで喚くのを見守りながらキロは首を傾げて金髪の少年に尋ねる。四人は集会所を抜け少し先にある公園へと向かっているようだった。
「えーっと君は……」
「ああ自己紹介遅れちゃってごめん! オレはナシャート・アルバハル! えっとキロちゃん? だよね、キロちゃんはトリーの幼馴染か何か?」
「はい、長い付き合いですよー。改めて僕も自己紹介しますね。キロ・テリョナーダといいます。旅する家守の一族の生まれです」 「えっ讃える者なの!?」
 はいと頷くキロをナシャートと名乗った少年は上から下までまじまじと見つめて、これでオレ何人の讃える者と知り合いになったんだろとぼんやりとした声でつぶやいた。
 聴覚気管がキロ以外の声を区別してデータを作り上げて行く。ウィサットの一度壊れたデータは作り直されている最中だ。北の廃墟で得たデータは、しかし「姉であるキロ」と、「キロの友人たち」であるブラジェナ、グロスビーのふたりしかない。
 新たに新規作成されるデータをめくりながら、ウィサットのあるはずのない思考回路は不愉快という単語で埋め尽くされていた。この姉のことをウィサットという「弟」が知らずに姉の友人のほうが知っている。それは彼の理論の中ではわずかに苛立たしいことであった。
 ウィサットの沈黙に違和感を覚えていないのか、たどり着いた公園でキロはにこやかにトリーにいった。
「僕はこの先しまわれます。その前に最後の旅をしなければいけません。弟を家に帰さなければ」
「なんでオレにそれをいいにきたの」
 感情を抑えた声だった。もしもウィサットが感情の機微に敏感な人間だったのなら、キロの声の裏に秘められた叫びが聞こえただろう。諦念に満ちていながら救いを求める叫び声が。
 トリーにもそして事情を知らないはずのナシャートにも彼女の本音がわかったというのに、ウィサットにはわからない。わからないからこそ、ふたりの少年の表情が不快だった。ぼくにはどうしてわからないのだろうか。
 キロは笑う。
「次に会うときは二児の母になっていますよという予告です。驚かないでくださいねっていう」
「はっきりいいなよ、キロ! 嫌だっていえよ!!! 逃げろよ!! こんなやつ放っておいて自分のやりたいことをしろよ!!」
「やりません!!!」
 トリーの荒い怒声をぴしゃりと叩きつけるように、キロは叫んだ。ふたりしてきょとんとしながらも徐々に顔を歪めて行く。ナシャートとウィサットは置いてけぼりだ。ウィサットにいたっては自分のことだというのに。
「やりません。僕は僕のやることをやります。………でも、最後の旅はしたかったから」
 ふわりとキロは笑った。いまだに繋いだままの手を見やり、キロは朱色の瞳を綻ばせ、トリーを見た。それを横から見ていたナシャートには、彼女が泣いているように見えた。
「僕は、弟を送り届けます」
 トリーの水色の眼差しとキロの朱色の眼差しが交差して、そしてふいっと片方が消えた。トリーは逸らした視線の先を足元の花にむけて、ぽつりといった。
「勝手にすれば」
「うん。ありがとう、トリーくん。イフティ姉さんにもお願いしますね」
「わかってる。ねえ、機械人形」
 傍観しているだけだったウィサットに向けて水色の意識が飛んできた。突き刺すような視線を感覚が教え、ウィサットはキロとほぼ変わらない身長の少年を見つめる。視覚気管が捉えたはずの少年は、強い光を放つ目をしていた。
「キロを、守りなよ。ねぇちゃんだっていうなら、守れなきゃだめだ」
「もちろん」
 ふん、と鼻を鳴らすトリーに、キロは優しく笑った。ナシャートも何かに気がついたのか小さくにっと笑った。
 晴れてはいないけれど、暗すぎることもない曇りの日のことだった。見上げた空に何かが陰ったことを探知していながらも、ウィサットはキロから視線を外すことはしない。


 その日の晩に、ウィサットという機械人形は、まほろばの島の存在を知ることになる。
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