道理を知らぬ子ども

 『まほろばの島』が見つかった。
 そんな言葉が広まっていることは、大量の新聞を取りなおかつさまざまな社交界に出入りしているセシリオ・バレッタ=バレリエーレにとって、既知の出来事だった。今日も今日とて届けられた胡散臭いゴシップ誌から格調高いと評判の貴族向けの雑誌、学者たちが書き連ねたという新聞からはては過去研究者だったという人間が書いたものなど、異常な量の紙の束がセシリオ個人の邸宅に届けられ、使用人たちの手によってうら若い領主の朝食の席であるテーブルに積まれていた。
 目を覚ましひとりで衣服を着替え、窓の外で使用人が門から屋内へと行き来するのをみつめながら、セシリオは小さくため息をついた。どうせしばらくは『まほろばの島』に関する話しかないのだろう。くだらないなと思いながらも彼は寝室から執務室として利用している書斎への扉を開ける。机の上は書類が散乱し崩れ落ちそうになりながらも、新たに届けられた手紙が数枚置いてあった。そのうちのひとつの見慣れた文字に、少しだけセシリオは顔を緩ませ、その一枚だけを机の中に仕舞い込み、あとは乱雑にポケットの中に突っ込んだ。朝食を食べながら読めばいい、どうせパーティの誘いだ。
 ちらと時計を見ると朝食を食べる時間がもうすぐだった。いっそのこと食べないということも考えてしまうのだが、かわいい義妹フランチェスカに家を出るとき――「きちんと朝ごはんを食べなければいけません! 食べなかったらわたしはお兄様のおうちに行ってしまいますからね! 約束ですわ!」――朝食を抜かさない約束をさせられて以来、できる限り食べることにしている。扉を開けたところでちょうど使用人がノックをしようとしていたらしく、ごつんと頭をぶつけてしまった。さすがにあわてて謝罪をするが、使用人のひとりである青年はぶんぶんと頭を振る。その目には畏怖と尊敬と軽蔑が垣間見えたような気がしたが、それすらももう慣れた。悪かったと小さくつぶやき、階段をくだる。朝食をとるテーブルの上には、すでにどっさりと紙の束が置いてあった。食事が運び込まれていくのを見守ることもせず、ポケットに突っ込んだ手紙を取り出し一枚一枚目を通す。
「本日のご予定はどうなさるのですか」
 いつの間にか背後に来ていたのか秘書であり、親戚がセシリオの監視代わりにつけた初老の男だった。最初はうまくセシリオを利用して取り入ろうとしていたのだが、今ではすっかりセシリオ・バレッタ=バレリエーレという十四歳の少年に惚れ込んで、幼いとまでもいえる領主の手や足となっていた。セシリオの親戚であり彼の依頼主である人間に対して、彼はセシリオが動きやすいように報告していた。そこまでするほどの価値が、この複雑な家庭環境の中で育った少年にはあるのだ。
 セシリオの一日の動きはセシリオ本人が決めることが多い。秘書である男がやることといえばセシリオが忘れてしまったスケジュールがないかどうか確認すること、馬車を用意することなどそれくらいしかない。そうしろとセシリオ本人が決めた。
 緑がかった黒髪を白い指で掻きながら、セシリオはふうとため息をついて手紙を卓上に放り出した。皿は奥に置かれたままで、領主であるセシリオ本人が食べるというまではずっとそこに放置されたままだ。セシリオは軽く指を動かし、使用人たちはなれた手つきで食事を少年の近くへと置いていく。手紙は二つに選り分けられており、片方の山を捨てろとそっけなく言い捨てた。秘書の男はそのうちのひとつの紋章に気が付いて眉をひそめ、当の手紙を持ち上げた。
「お父様の仕事場にもいかれないのですか」
「仕事場へ来いという手紙じゃないさ、投資額を増やせという催促だ」
「どうなさるんですか」
「どうもしない。父の道楽に貸してやるだけの金は与えている。僕は父にこれ以上研究所なんかに入れ込んで欲しくないからな」
 いいながらセシリオは食事を始めた。給仕する使用人たちも新聞や雑誌を読みながら食事をするセシリオを咎めはしない。この少年はそういったマナーに縛られるべきではないということを、だれもが知っていた。この小さな邸宅では、十四歳の少年が王であり支配者なのだ。
「食事を終えたら研究所に向かう。バトルフェザーたちの『まほろばの島』探しの始まりだから式をやるんだそうだ。馬鹿馬鹿しい」
「セーリョ様」
 咎めるように秘書の男がセシリオの愛称のひとつを呼ぶと、少年はきゅっと凛々しい眉を顰めはんと鼻を鳴らした。
「お父様の立場を忘れないでくださいませ」
「忘れるはずがないだろう? 父がいてくれてよかった、父のおかげで実際はともかく僕は立派な研究所派だからな。この間研究所派を名乗る貴族共のパーティにいったら何がいたと思う? 奴らは何を誇らしげに晒していたかわかるか?」
 苛立たしそうにセシリオは深い緑の目を歪ませ、手に持つフォークをやや乱暴に野菜に突き刺した。カンッと鋭い音が立ったことを知りながら、彼は気にもせずに野菜を食む。こくりと嚥下してからまた白けたような顔でいった。うんざりしたような声の中には、どこかしら虚無が混ざっている。
「アイドルだった。随分と愛らしい姿をしていた。吐き気がする」
「セーリョ様」
「くだらないな。この国は本当にくだらない」
 いいながらやや乱暴にフォークとナイフを皿の上に置いて、セシリオは立ち上がった。ろくに食べてもいないがそれはいつものことだから誰も口出しはせず、ただ視線を彼の後ろ姿に向ける。まだまだ子どもといって何もおかしくはないはずの少年の背中は、けれど重圧に耐えるようにぴしりと張られていた。彼自身が崩れるということなど起きないとでもいいたげに、ただ毅然とした背中があるだけだ。
「セーリョ様、言葉に気を付けてくださいませ。だれがあなたの資産を利用しようとしているかなどわかりはしないのですから」
 秘書の言葉にセシリオは窓を見つめつつカフスボタンをいじっていた手を止めて、空の中から視線をそらし、傲慢とも見えるような笑みを浮かべた。十四歳の少年ならそんな表情などできるはずもなかろうに、子どもでいることをやめた少年はいともたやすく笑って見せる。
「利用できるものならすればいいさ。僕を丸め込むことなんて片手間でできるくらいに単純なんだから。それをできもしないやりもしない馬鹿な貴族共やら研究所のクズ共なんかに、僕が負けると思うのか?」
 緑の目の奥に強い意志を燃やして、それでも冷静さを失わないまま、ふっとセシリオは力を抜いた。自然と曇天のままの空に視線が向けられる。
「せめて、救われればいい」
 何を、とも、何が、ともセシリオは口にしない。空の中に、セシリオはだれを見出したのだろうか。


 『まほろばの島』が見つかった。
 セシリオ・バレッタ=バレリエーレは貴族のひとりとして、バトルフェザーたちの初陣を見送ることになる。そしてサポート役としてのアイドルたちの出立も。
 どちらもほぼ関心を抱かなかったセシリオではあったが、会場の奥でぽつりと座り込んでいる青年の姿ばかり視界に入った。黒いまるで闇そのもののような翼を背から生やしたまま、アイドルの青年は座り込んでいた。何も見えていないかのようにぼんやりとした赤い瞳が、どこか一点だけを見つめていた。
 青年のことはそれ以上知らないままだった。
 西の国で生み出された奇妙におかしな生き物である鳥は、空を目指して飛び立っていく。
 歪んだ国での歪んだ道理を見つめながら、セシリオは静かな目で空を見つめていた。
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