ドレスと軍人
「そういえば、次の公式戦カジノなんだってよ」
「ああしかもシュヘンズレヒター・グランドホテルの三フロア貸し切りにするらしいぜ」
「金かかってんなー」
「賭博堂々と公式戦に持ち込むあたり、いかにも運営だよな」
食堂の片隅、もはや定位置になったそこを陣取りながら、まわりの言葉を拾い上げる。もぐもぐと飯を平らげながら必然的に俺の眉はひそめられていった。当然だ、カジノなんざ知らねえ。
今回の公式戦はパスすっかなァ、そう思いながらふう、と一息吐くと、タイミングよく目の前にお茶の入ったグラスが置かれる。
「気が利くなァ、セーレ」
笑っていいながら顔を上げると、案の定金髪の若い女セレナリアことセーレがそこに立ってにこりと微笑んだ。
「錦さんはカジノに参加いたしますの?」
「食事どきに雑談なんかしてていーのかァ?」
「今は大丈夫ですわ」
彼女は桜色の私服めいたスカートを丁寧にさばいて向かいの席に腰掛ける。女らしい仕草は口笛でも吹いて冷やかしたいくらいに似合っていた。
「俺は参加する気ねェぜ。賭博つったら麻雀とポーカーくらいしかわかんねえし」
「それでも十分では?」
「冗談。俺が不満なんだよォ、ろくに闘えねえし」
肩をすくめながらそう言い放てば、彼女はあら、と唇に細い指を当てて首を傾げる。
「今回も個人戦はありますの。それには参加しませんの?」
「個人戦めんどくせェだろォ、運営取っ捕まえなきゃいけねえし」
「いえ、今回の個人戦ですと、人間競馬といって場内で速やかに闘えるみたいですの。運営さんも場内にいらっしゃるそうですし、暇そうな方をお誘いすればいいと思いますの!」
にこにこと笑うセーレを見ながらふうん、と返す。いつもより個人戦を多く早くできんなら、やんねえよりましかァ?
俺がその気になってきたのがわかったのか、おもむろに彼女は身を乗り出し、満面の笑顔でいった。
「錦さんはカジノでどんなドレスを着るんですの?」
「………はァ? ドレス?」
なんでカジノでドレスなんだァ? ぽかんと間の抜けた顔そのものにセーレを見上げれば、彼女はまあまあまあとかなんとかいいながらやっぱりにっこりと笑う。楽しそうだなァ、おい。
「まあ錦さん、カジノでは正装するのがマナーですの! 女の子はちゃんとおめかししなくちゃいけませんの!」
「はァ? そんなルールあんのかァ?」
「ルールではなく礼儀ですの、錦さん!」
きらきらした笑顔を向けてくる悪意のなさに思わずたじろぐ。いやこいつに悪気がねえのはわかるけどよォ……、ドレスはねえだろォ。
机から身を引きながら顔を歪めてぞんざいに応える。
「俺はそんな礼儀知らねえからなァ、やっぱパスするわァ。第一ドレスなんざ持ってねえしよォ」
「まあ! なら一緒にお買い物に行きましょう! 僭越ながらわたくしが選んで差し上げますの!」
「僭越とか思ってねえだろてめェ、ノリッノリじゃねえか!」
「そんなことございませんの、錦さんのためを思ってですの!」
「嘘こけェめっちゃ笑ってんじゃん!!」
「楽しみですの錦さんのドレス姿! では後日!」
にこやかに、というよりよほど嬉々とした笑みを浮かべたセーレは、俺が空にした食器を器用に重ねて持ち上げ、そのまま悠然とその場を立ち去った。
手にはお茶の入ったグラスがひとつ。
「なんだかなァ……」
ぽつり呟いた声は食事をする騒音で掻き消された。
「まあ似合いますの錦さん!!」
「嘘だろォ? てめえ目見えてんのかァ?」
「こっちの色も素敵だと思いますの錦さん」
もはや話を聞かずに押しつけられるドレスをひとまず手にとって、呆れて彼女を見やればセーレは今にも鼻歌を歌いだしそうなくらい楽しんでいた。飾られているドレスにするりと細い指先が触れて、そのたびに嬉しそうに色の違う目が細まり、わずか頬が赤らむ。ガキみてえ、そう思いながらも馬鹿にしたくはなかった。
そのまま次から次へと目移りしながら見やる彼女を見ていれば、たいてい手に取るのは白や桃色なんかのいかにも少女めいたドレスだった。それを押しつけられたらさすがに突っぱねざるおえない。ちゃんと臨戦態勢を取りつつもふと尋ねる。
「てめえはカジノ参加しねえのかァ?」
「悩み中、ですの。でも錦さんが、わたくしが選んだドレスを着てくださるなら行きますの!」
「……着てもいいけどよォ、ドレス破れてもしんねえかんなァ」
「ほんとですの!? ふふふ、なら行きますの!」
より嬉しそうに唇が緩むのを横目で見やりながら、改めてこいつが軍人の姉なのだと思った。自身すら傷つくと知りながら、送り出す。
そんなもん、なんかねェ。
「……競馬、ちゃんと俺に賭けろよォ、儲けさせてやらァ」
「自信満々ですのね?」
ふふ、と落ちる笑みとともに、セーレはこちらに身を寄せて小首を傾げた。その手に持つ淡い桃色のドレスと相まって、まさに花畑の住人のようだ、ふわふわしてやがる。
「あったりめーだろォ、こう言い放って負けたら男が廃る」
「錦さんは女の子ですの」
「じゃあ女が廃る」
「よくできました、ですわ!」
互いによくわかってない会話をしながらドレスを見ていく。つっても俺はセーレが選ぶのを黙って見てるだけで、渡されたドレスをひとまず受け取っていた。もうすでに相当な量が腕の中に溜まってるわけだが、セーレはそれも見えてないらしい。
ふあーあとあくびを噛み殺していれば、最後に一着青のドレスを俺に押しつけてにっこりと笑った。
「ではこれを着ていただきますの」
「げえ、試着だけでこんなにあんのかよォ……」
「店員さーん、お願いしますの!」
俺の不満などどこ吹く風、セーレはたまたま居合わせた店員をつかまえて俺を試着室に押し込んだ。もちろん、「着たら一度見せてくださいですの」と前置きをしてから。
はあ、とため息めいた言葉を漏らしながら、ドレスの山を置いてさっさと私服を脱ぐ。その途中で鏡に映った、自身の肌に浮かぶ引きつれた傷痕に気が付いた。それから背中から忍び込む刺青の端。
「……見えんだよなァ……」
傷痕はいい、いつものことだ。ただ刺青は、あの銭湯のユンファとかいう野郎にもいわれた通り、いいものじゃあなかった。
ふん、とかすかに鼻を鳴らし手っ取り早く着替える。先に背中開いたドレスはダメだっていっときゃよかったなァ、そんなことを考えて、考えた自分に笑いそうになった。
馬鹿か俺は。
「セーレェ、着たぜえ」
いいながらカーテンを引けば、彼女は振り向いて笑顔になった。真っ先に着たのがさっきセーレが選んだこれだったからだろうか、嬉しそうだった。
「まあ素敵ですの錦さん! 似合いますの!」
「……めんどいからもうこれでよくねえかァ? つうか黒以外で俺が着れるのなんてこんなんだろォ」
「まあ、こちらも試していただきたいのに……」
青と紫の目が落ちる先にはいかにもふわふわとかわいらしい白のドレスが待っていた。引きつった笑みを浮かべながらぶんぶんと首を振る。こんなん着れんのはセーレとかシウとかだろうがよォ。
「こんなん着て歩くくらいなら全裸のがましだァ」
「試すだけならありですの!」
「ちょォ、待てよてめえまじで着せる気じゃねえだろうなァ?」
「ささ、どうぞ中に入って!」
「お前店員じゃねえだろォ!?」
「錦さん、ちゃんと着て声をかけるんですの! 忘れたらお仕置きですの!」
ぐいぐいと試着室にふわっふわのドレスとともに押し戻されて、長い長いため息が漏れる。これで着てかねえのもなんかあいつに悪ィしなァ……。
あいつ相手だと我通し難いのなんでだろうなァ、とぶつぶつ呟きながら、しぶしぶ俺はそのドレスに腕を通した。さらりと触れた衣の感触は柔らかく、少女めいた色すらもきれいとは程遠い肌の色とくっきり区別されて、哀れだった。こんなドレスなら、間違いなく俺よりあいつのが似合うだろう。
身長も対して変わらないのに、どこかしゃんとしたセレナリア。それは自身の弟が軍人であることと関係があるのだろうか。ふわりと浮かぶ笑みの清純さは、自身のいる立場を、理解しきっているからだろうか。
似合わないドレスに腕を通し、さっさと外で待つ彼女に声をかけながら思う。ドレスの似合うセーレと、軍服しか似合わないような俺。それなのにこうして笑いながら言葉を交わせるのは。
「……悪く、ねえよなァ」
「何かいいまして?」
「何でもねえよォ」
「ああしかもシュヘンズレヒター・グランドホテルの三フロア貸し切りにするらしいぜ」
「金かかってんなー」
「賭博堂々と公式戦に持ち込むあたり、いかにも運営だよな」
食堂の片隅、もはや定位置になったそこを陣取りながら、まわりの言葉を拾い上げる。もぐもぐと飯を平らげながら必然的に俺の眉はひそめられていった。当然だ、カジノなんざ知らねえ。
今回の公式戦はパスすっかなァ、そう思いながらふう、と一息吐くと、タイミングよく目の前にお茶の入ったグラスが置かれる。
「気が利くなァ、セーレ」
笑っていいながら顔を上げると、案の定金髪の若い女セレナリアことセーレがそこに立ってにこりと微笑んだ。
「錦さんはカジノに参加いたしますの?」
「食事どきに雑談なんかしてていーのかァ?」
「今は大丈夫ですわ」
彼女は桜色の私服めいたスカートを丁寧にさばいて向かいの席に腰掛ける。女らしい仕草は口笛でも吹いて冷やかしたいくらいに似合っていた。
「俺は参加する気ねェぜ。賭博つったら麻雀とポーカーくらいしかわかんねえし」
「それでも十分では?」
「冗談。俺が不満なんだよォ、ろくに闘えねえし」
肩をすくめながらそう言い放てば、彼女はあら、と唇に細い指を当てて首を傾げる。
「今回も個人戦はありますの。それには参加しませんの?」
「個人戦めんどくせェだろォ、運営取っ捕まえなきゃいけねえし」
「いえ、今回の個人戦ですと、人間競馬といって場内で速やかに闘えるみたいですの。運営さんも場内にいらっしゃるそうですし、暇そうな方をお誘いすればいいと思いますの!」
にこにこと笑うセーレを見ながらふうん、と返す。いつもより個人戦を多く早くできんなら、やんねえよりましかァ?
俺がその気になってきたのがわかったのか、おもむろに彼女は身を乗り出し、満面の笑顔でいった。
「錦さんはカジノでどんなドレスを着るんですの?」
「………はァ? ドレス?」
なんでカジノでドレスなんだァ? ぽかんと間の抜けた顔そのものにセーレを見上げれば、彼女はまあまあまあとかなんとかいいながらやっぱりにっこりと笑う。楽しそうだなァ、おい。
「まあ錦さん、カジノでは正装するのがマナーですの! 女の子はちゃんとおめかししなくちゃいけませんの!」
「はァ? そんなルールあんのかァ?」
「ルールではなく礼儀ですの、錦さん!」
きらきらした笑顔を向けてくる悪意のなさに思わずたじろぐ。いやこいつに悪気がねえのはわかるけどよォ……、ドレスはねえだろォ。
机から身を引きながら顔を歪めてぞんざいに応える。
「俺はそんな礼儀知らねえからなァ、やっぱパスするわァ。第一ドレスなんざ持ってねえしよォ」
「まあ! なら一緒にお買い物に行きましょう! 僭越ながらわたくしが選んで差し上げますの!」
「僭越とか思ってねえだろてめェ、ノリッノリじゃねえか!」
「そんなことございませんの、錦さんのためを思ってですの!」
「嘘こけェめっちゃ笑ってんじゃん!!」
「楽しみですの錦さんのドレス姿! では後日!」
にこやかに、というよりよほど嬉々とした笑みを浮かべたセーレは、俺が空にした食器を器用に重ねて持ち上げ、そのまま悠然とその場を立ち去った。
手にはお茶の入ったグラスがひとつ。
「なんだかなァ……」
ぽつり呟いた声は食事をする騒音で掻き消された。
「まあ似合いますの錦さん!!」
「嘘だろォ? てめえ目見えてんのかァ?」
「こっちの色も素敵だと思いますの錦さん」
もはや話を聞かずに押しつけられるドレスをひとまず手にとって、呆れて彼女を見やればセーレは今にも鼻歌を歌いだしそうなくらい楽しんでいた。飾られているドレスにするりと細い指先が触れて、そのたびに嬉しそうに色の違う目が細まり、わずか頬が赤らむ。ガキみてえ、そう思いながらも馬鹿にしたくはなかった。
そのまま次から次へと目移りしながら見やる彼女を見ていれば、たいてい手に取るのは白や桃色なんかのいかにも少女めいたドレスだった。それを押しつけられたらさすがに突っぱねざるおえない。ちゃんと臨戦態勢を取りつつもふと尋ねる。
「てめえはカジノ参加しねえのかァ?」
「悩み中、ですの。でも錦さんが、わたくしが選んだドレスを着てくださるなら行きますの!」
「……着てもいいけどよォ、ドレス破れてもしんねえかんなァ」
「ほんとですの!? ふふふ、なら行きますの!」
より嬉しそうに唇が緩むのを横目で見やりながら、改めてこいつが軍人の姉なのだと思った。自身すら傷つくと知りながら、送り出す。
そんなもん、なんかねェ。
「……競馬、ちゃんと俺に賭けろよォ、儲けさせてやらァ」
「自信満々ですのね?」
ふふ、と落ちる笑みとともに、セーレはこちらに身を寄せて小首を傾げた。その手に持つ淡い桃色のドレスと相まって、まさに花畑の住人のようだ、ふわふわしてやがる。
「あったりめーだろォ、こう言い放って負けたら男が廃る」
「錦さんは女の子ですの」
「じゃあ女が廃る」
「よくできました、ですわ!」
互いによくわかってない会話をしながらドレスを見ていく。つっても俺はセーレが選ぶのを黙って見てるだけで、渡されたドレスをひとまず受け取っていた。もうすでに相当な量が腕の中に溜まってるわけだが、セーレはそれも見えてないらしい。
ふあーあとあくびを噛み殺していれば、最後に一着青のドレスを俺に押しつけてにっこりと笑った。
「ではこれを着ていただきますの」
「げえ、試着だけでこんなにあんのかよォ……」
「店員さーん、お願いしますの!」
俺の不満などどこ吹く風、セーレはたまたま居合わせた店員をつかまえて俺を試着室に押し込んだ。もちろん、「着たら一度見せてくださいですの」と前置きをしてから。
はあ、とため息めいた言葉を漏らしながら、ドレスの山を置いてさっさと私服を脱ぐ。その途中で鏡に映った、自身の肌に浮かぶ引きつれた傷痕に気が付いた。それから背中から忍び込む刺青の端。
「……見えんだよなァ……」
傷痕はいい、いつものことだ。ただ刺青は、あの銭湯のユンファとかいう野郎にもいわれた通り、いいものじゃあなかった。
ふん、とかすかに鼻を鳴らし手っ取り早く着替える。先に背中開いたドレスはダメだっていっときゃよかったなァ、そんなことを考えて、考えた自分に笑いそうになった。
馬鹿か俺は。
「セーレェ、着たぜえ」
いいながらカーテンを引けば、彼女は振り向いて笑顔になった。真っ先に着たのがさっきセーレが選んだこれだったからだろうか、嬉しそうだった。
「まあ素敵ですの錦さん! 似合いますの!」
「……めんどいからもうこれでよくねえかァ? つうか黒以外で俺が着れるのなんてこんなんだろォ」
「まあ、こちらも試していただきたいのに……」
青と紫の目が落ちる先にはいかにもふわふわとかわいらしい白のドレスが待っていた。引きつった笑みを浮かべながらぶんぶんと首を振る。こんなん着れんのはセーレとかシウとかだろうがよォ。
「こんなん着て歩くくらいなら全裸のがましだァ」
「試すだけならありですの!」
「ちょォ、待てよてめえまじで着せる気じゃねえだろうなァ?」
「ささ、どうぞ中に入って!」
「お前店員じゃねえだろォ!?」
「錦さん、ちゃんと着て声をかけるんですの! 忘れたらお仕置きですの!」
ぐいぐいと試着室にふわっふわのドレスとともに押し戻されて、長い長いため息が漏れる。これで着てかねえのもなんかあいつに悪ィしなァ……。
あいつ相手だと我通し難いのなんでだろうなァ、とぶつぶつ呟きながら、しぶしぶ俺はそのドレスに腕を通した。さらりと触れた衣の感触は柔らかく、少女めいた色すらもきれいとは程遠い肌の色とくっきり区別されて、哀れだった。こんなドレスなら、間違いなく俺よりあいつのが似合うだろう。
身長も対して変わらないのに、どこかしゃんとしたセレナリア。それは自身の弟が軍人であることと関係があるのだろうか。ふわりと浮かぶ笑みの清純さは、自身のいる立場を、理解しきっているからだろうか。
似合わないドレスに腕を通し、さっさと外で待つ彼女に声をかけながら思う。ドレスの似合うセーレと、軍服しか似合わないような俺。それなのにこうして笑いながら言葉を交わせるのは。
「……悪く、ねえよなァ」
「何かいいまして?」
「何でもねえよォ」