雨には非ず
空は濁ったヘドロのような色をしていた。今日は一段とひどい有様だとブラジェナはため息をつきながら、ぺたぺたと道のりを歩いていた。仕事着のまま歩く彼女の姿に、行き交う男女は奇妙なものを見るような目を向けたかと思えばすぐさま目を伏せて歩いていく。本当はこんな真昼間から仕事着で出歩くつもりなどなかったのだが、しかし今さらどうこういっても仕方がない。仕事をしなければ彼女は生きるのに少し苦労するからだ。
古びたこの国の機械たちを整備して使えるようにしたり、機械人形といわれる特殊な存在を整備したりする機械整備士たちとも違うし、友人であるサンディのように他人を助けることのできる医者でもない。さらに変人であり勝手にライバル視しているグロスビーのような蒸気整備士でもない。ましてやもっとも人手が必要なはずなのに人のいない調整技師というわけでもない。ブラジェナという女にできることといえば、害となる雨を一定量他の場所に流し込む排水管を直す作業くらいだ。こんなもの命知らずの馬鹿くらいしかやらないと知っていて、ブラジェナはその職についている。他にも仲間はいるが、みんな穴倉の中の住人で彼女のように望んで配管工に就く者などいなかった。誰もかれもが明日生きるためだけに雨水におびえながら生きている。
仕方のないことだとブラジェナは思う。生きることに不安を覚えないなんてこの土地では不可能だ。東にいた頃とは何もかもが違う。
くだらない感傷でまた胸が痛んだ。ブラジェナは雨が好きだ。自分の命を攫っていってくれるとするのなら、それはきっと恋しい相手や憎い敵などではなく、雨であるということを知っていた。だから雨が好きなのだ。
ぺたぺたと間抜けな音を響かせながら彼女は今日の仕事場に向かう。やることはそんなに多くもないし、さほど難しいわけでもない。いつも通りパイプの点検をして雨水の浸水状況を確認し、必要とあらば廃材で新たなパイプをこしらえればいい。彼女の些細な住居である廃れた観覧車は、各ゴンドラにそれなりの施設を急ごしらえではあるが設けられている。全部北に来てから三年間で徐々に集めてきたガラクタたちを作り直した成果もあって、ようやく自分ができることがわかってきた。それをうれしくも思い、そしてうんざりとする。あんな事故を起こしてなお、機械から手を引くこともできないなんて、なんて汚らしい欲だろうか。
もう二度と触らないと思い詰めて東を飛び出し、迷った末に辿り着いた土地は機械や廃材の転がる場所だった。穏やかでときおり青い空すら臨むことができるといわれた南の群島を目指したはずなのに、と乾いた笑いを漏らしながら、廃材の山の前で立ち尽くしたあの日のことは忘れられない。もう金も食料も何もなく、あるのは散々っぱら使いまわした愛用の工具一セットとこの身ひとつだけだった。足を止めるほか、なかった。
いいや、足を止めることを望んだのは、結局機械への異常な執着を止めることのできなかったブラジェナ自身だ。それくらいはわかっている。わかっているからこそ彼女は自分が許せないままだ。
パイプをひとつひとつ確認しながらゴーグルに垂れてくる雨水をぬぐい、歪んだ箇所を点検する。この調子だとこれも変えなければならないだろう。しばらくは北の船に呼び出されていないが、いずれまた点検で大勢が駆り出されるのだろうか。オォンオォンとパイプの振動が響く。
ふと雨が降ってきたのだろう、パイプの中で響く音が変わる。心地よく響き始める不規則なリズムにブラジェナは一瞬目を閉じ、それから少しだけ笑った。マスクの下の笑みはきっと呆れるくらいのヒロイズムに満ちている。そんな自分を指さして笑いたかった。
雨に溺れて死ぬために、彼女はいつも生きている。
交換すべきパイプのチェックを終え、納期の確認をしたあと今日の給金を受け取る。その足で飲みに行くのでも構わないが、ブラジェナの足はいつもいくバーではなく違う方向へと向いていた。雨水を多分に含んだ仕事着を着替えることすらせず、防水加工の施した鞄の中に給金を押し込んで、彼女は歩を進める。
宵闇が迫る愚鈍な鉛色の雨空の下、人間の姿が死体のように積み重なっていた。頭はもげ肘から先は欠損し、上体を切り落とされ片足などあまりに多すぎてわからない、そんな人間の山がそこにはあった。一種グロテスクで退廃的な香りがするのは、きっとそれが「人間」ではないからだろう。現にいくつかの人形たちは頭だけの状態となっていても、美しい硝子玉のような目を見開いたままだ。唇は皆桜のように淡く、頬は薔薇のように赤い。少女もいれば少年もおり、男もいれば女もいる。醜い姿などそうはいないが、けれど長年雨ざらしにされていたせいで顔が溶けているものもあった。
異様なその光景を目前にしながら全面コンクリートだけになってしまった廃墟を雨避けにして、ブラジェナはただ突っ立っていた。自身がさながら人形になったかのようにぼんやりと立ちつくし、黄金にも似た橙色の瞳には何も映さないままそこにいる。
ひとりキロを家に残しているのだと思い出し、そして彼女が連れてきてしまった珍客を思い浮かべた。珍客を治すための手段も、そうするために必要なブラジェナ自身の決意も。
機械人形を治すためには機械整備士にならなければいけない。三年前北に辿り着いてすぐにその事実を知ったとき、ブラジェナは何も考えぬまま習得することを選んだ。いつも追いすがってくる少女のあのときの詰り声に蓋をして、ひたすら学びそして今年の頭にようやく機械整備士としての免許をもらった。薄いぺらりとした紙切れ一枚のためだけに、少女の兄を殺した事実を忘れていたということを、受け取った瞬間思い出した。
そうした矢先にキロが訪れて、そして機械人形の男を連れてきた。今は観覧車のゴンドラのひとつに横たえて放置している。昨日の今日で二日酔いと戦いながら確認すれば機械人形である男は、壊れきっているわけではないようだった。複雑な断線もしておらず機械整備士の新米であるブラジェナでさえも治せるだろう様子ではあったが、なによりキロがあの巨体を屈服させたということがどうにも信じられなくはある。特殊な身体をしている少女であるが、そこまでだとは思えない。
どちらにせよ逃げていた思考は結局同じところに回帰する。キロは自身が壊してしまったからといって機械人形を南へといったん連れて帰るといっていた。彼女が北を発つとしたら明日か明後日か、どちらにせよもうすぐだ。ブラジェナが迷っているのなら、ピオやサンディに任せてしまったほうが圧倒的に早い。
けれど、これ以上。
これ以上は無理だった。
異形の姿に成り果てた人形の山を見据え、ブラジェナはおもむろに足を一歩踏み出す。雨がすでにびしょ濡れの仕事着に染み込んで、女の身体を冷やした。しかしそれすらも目に入らぬまま、崩れてばらばらになった人形たちへと近づいて、膝をつく。指を伸ばしどろりと溶けた肌に似たものに触れると、仕事着の上からでもそれが粘着質であることがわかった。べとりとした気持ちの悪い感覚はけれど散々油をぬぐっていた彼女からしたら特に思うところはない。ただ、血のようだと思っただけだった。
氷のような水色の髪が脳裏で瞬く。詰る声が耳の奥で木霊す。愛していた男の顔が、笑った。
指が、震えていた。
雨に溺れて死ねたらいいのに。
雨に殺されたなら、きっとアタシを許してくれるんだろう、なあそうだろ。
ぶしゅりと腕だったそれを握りつぶす。強くつかんだだけで腕の皮膚を装っていたゴムはぶちりと破け、中のガラクタめいた部品が転がり落ちた。それすらも雨に打たれて散らばって泥の中に沈んでいく。人間もいつかこうなるというのなら、今すぐ雨に飲まれて泥の中に沈みたい。
そんなくだらない願望の捌け口を探すことに夢中になっているブラジェナは、だからこそ背後から声をかけられたとき大げさなほど肩を震わせたのだった。
「人形の腕を握り潰すアホタレが人形なんぞ治せるんか」
ブラジェナが振り返った先には、もじゃもじゃの髪にぐるぐるとふざけた瓶底眼鏡をかけた男の姿があった。口髭こそ立派ではあるがわずかに見える肌は若い男のものだ。既知の相手だったのか、ブラジェナはへっと顔を歪めて人形の腕から手を放した。ドシャガシャンと落ちる音を聞きながら彼女は立ち上がり傘をさす浮浪者のような姿の好敵手――グロスビーに、口元を覆うマスクを剥ぎ取りふざけた語調で返す。
「うっせ、アタシだってやりゃあできんだよ」
「お前には配管工なんぞむいとらん。さっさと自分の本分に戻ったほうが身のためじゃな」
いつものようにばかげた回答で互いを愉快にさせるのだろうと思っていたブラジェナは、だからこそグロスビーの言葉に息を飲んだ。ぴしゃりと吐き捨てられた声は雨の中に埋もれて死んでいく。ブラジェナがしっかりと受け取ることができなかった言葉は、死んでいく。
ぐるぐる眼鏡の下で、薄紅色の電球が光を放ったようだった。
「あの機械人形はわしが治した」
「――は?」
言葉の意味が、つかめなかった。聞き返す声は雨の中吸い込まれて消えていきそうになるが、グロスビーはそれを確かに聞き取って強い声でもう一度いった。
「あの機械人形は、わしが治したといったんじゃ。お前の家からかっぱらってやろうとした廃材代わりにだがな。小娘が困っておったぞ、いつまでもお前が帰ってこないから出られないとな」
「……何をッ――なに勝手なことやってんだよおい!! なんであんたが、あんたがそんなことやんだよっふざけんな!!!」
激情に任せた声は明らかに震えと怯えが混ざっていた。動揺のせいで視界が歪む。肺が握りつぶされたように呼吸をすることが苦しくなった。傘の下でグロスビーという男は涼しげな顔をしたまま立っていた。ただ目だけが、強い光を発してブラジェナを射抜いた。
「お前がちんたらしとる間に物事は進む。しばらくしたら機械人形もまほろばの島捜索に駆り出されるだろうよ、その間お前は何をしている?
それでお前は何を産む?」
答える言葉を、彼女はまだ知らない。
古びたこの国の機械たちを整備して使えるようにしたり、機械人形といわれる特殊な存在を整備したりする機械整備士たちとも違うし、友人であるサンディのように他人を助けることのできる医者でもない。さらに変人であり勝手にライバル視しているグロスビーのような蒸気整備士でもない。ましてやもっとも人手が必要なはずなのに人のいない調整技師というわけでもない。ブラジェナという女にできることといえば、害となる雨を一定量他の場所に流し込む排水管を直す作業くらいだ。こんなもの命知らずの馬鹿くらいしかやらないと知っていて、ブラジェナはその職についている。他にも仲間はいるが、みんな穴倉の中の住人で彼女のように望んで配管工に就く者などいなかった。誰もかれもが明日生きるためだけに雨水におびえながら生きている。
仕方のないことだとブラジェナは思う。生きることに不安を覚えないなんてこの土地では不可能だ。東にいた頃とは何もかもが違う。
くだらない感傷でまた胸が痛んだ。ブラジェナは雨が好きだ。自分の命を攫っていってくれるとするのなら、それはきっと恋しい相手や憎い敵などではなく、雨であるということを知っていた。だから雨が好きなのだ。
ぺたぺたと間抜けな音を響かせながら彼女は今日の仕事場に向かう。やることはそんなに多くもないし、さほど難しいわけでもない。いつも通りパイプの点検をして雨水の浸水状況を確認し、必要とあらば廃材で新たなパイプをこしらえればいい。彼女の些細な住居である廃れた観覧車は、各ゴンドラにそれなりの施設を急ごしらえではあるが設けられている。全部北に来てから三年間で徐々に集めてきたガラクタたちを作り直した成果もあって、ようやく自分ができることがわかってきた。それをうれしくも思い、そしてうんざりとする。あんな事故を起こしてなお、機械から手を引くこともできないなんて、なんて汚らしい欲だろうか。
もう二度と触らないと思い詰めて東を飛び出し、迷った末に辿り着いた土地は機械や廃材の転がる場所だった。穏やかでときおり青い空すら臨むことができるといわれた南の群島を目指したはずなのに、と乾いた笑いを漏らしながら、廃材の山の前で立ち尽くしたあの日のことは忘れられない。もう金も食料も何もなく、あるのは散々っぱら使いまわした愛用の工具一セットとこの身ひとつだけだった。足を止めるほか、なかった。
いいや、足を止めることを望んだのは、結局機械への異常な執着を止めることのできなかったブラジェナ自身だ。それくらいはわかっている。わかっているからこそ彼女は自分が許せないままだ。
パイプをひとつひとつ確認しながらゴーグルに垂れてくる雨水をぬぐい、歪んだ箇所を点検する。この調子だとこれも変えなければならないだろう。しばらくは北の船に呼び出されていないが、いずれまた点検で大勢が駆り出されるのだろうか。オォンオォンとパイプの振動が響く。
ふと雨が降ってきたのだろう、パイプの中で響く音が変わる。心地よく響き始める不規則なリズムにブラジェナは一瞬目を閉じ、それから少しだけ笑った。マスクの下の笑みはきっと呆れるくらいのヒロイズムに満ちている。そんな自分を指さして笑いたかった。
雨に溺れて死ぬために、彼女はいつも生きている。
交換すべきパイプのチェックを終え、納期の確認をしたあと今日の給金を受け取る。その足で飲みに行くのでも構わないが、ブラジェナの足はいつもいくバーではなく違う方向へと向いていた。雨水を多分に含んだ仕事着を着替えることすらせず、防水加工の施した鞄の中に給金を押し込んで、彼女は歩を進める。
宵闇が迫る愚鈍な鉛色の雨空の下、人間の姿が死体のように積み重なっていた。頭はもげ肘から先は欠損し、上体を切り落とされ片足などあまりに多すぎてわからない、そんな人間の山がそこにはあった。一種グロテスクで退廃的な香りがするのは、きっとそれが「人間」ではないからだろう。現にいくつかの人形たちは頭だけの状態となっていても、美しい硝子玉のような目を見開いたままだ。唇は皆桜のように淡く、頬は薔薇のように赤い。少女もいれば少年もおり、男もいれば女もいる。醜い姿などそうはいないが、けれど長年雨ざらしにされていたせいで顔が溶けているものもあった。
異様なその光景を目前にしながら全面コンクリートだけになってしまった廃墟を雨避けにして、ブラジェナはただ突っ立っていた。自身がさながら人形になったかのようにぼんやりと立ちつくし、黄金にも似た橙色の瞳には何も映さないままそこにいる。
ひとりキロを家に残しているのだと思い出し、そして彼女が連れてきてしまった珍客を思い浮かべた。珍客を治すための手段も、そうするために必要なブラジェナ自身の決意も。
機械人形を治すためには機械整備士にならなければいけない。三年前北に辿り着いてすぐにその事実を知ったとき、ブラジェナは何も考えぬまま習得することを選んだ。いつも追いすがってくる少女のあのときの詰り声に蓋をして、ひたすら学びそして今年の頭にようやく機械整備士としての免許をもらった。薄いぺらりとした紙切れ一枚のためだけに、少女の兄を殺した事実を忘れていたということを、受け取った瞬間思い出した。
そうした矢先にキロが訪れて、そして機械人形の男を連れてきた。今は観覧車のゴンドラのひとつに横たえて放置している。昨日の今日で二日酔いと戦いながら確認すれば機械人形である男は、壊れきっているわけではないようだった。複雑な断線もしておらず機械整備士の新米であるブラジェナでさえも治せるだろう様子ではあったが、なによりキロがあの巨体を屈服させたということがどうにも信じられなくはある。特殊な身体をしている少女であるが、そこまでだとは思えない。
どちらにせよ逃げていた思考は結局同じところに回帰する。キロは自身が壊してしまったからといって機械人形を南へといったん連れて帰るといっていた。彼女が北を発つとしたら明日か明後日か、どちらにせよもうすぐだ。ブラジェナが迷っているのなら、ピオやサンディに任せてしまったほうが圧倒的に早い。
けれど、これ以上。
これ以上は無理だった。
異形の姿に成り果てた人形の山を見据え、ブラジェナはおもむろに足を一歩踏み出す。雨がすでにびしょ濡れの仕事着に染み込んで、女の身体を冷やした。しかしそれすらも目に入らぬまま、崩れてばらばらになった人形たちへと近づいて、膝をつく。指を伸ばしどろりと溶けた肌に似たものに触れると、仕事着の上からでもそれが粘着質であることがわかった。べとりとした気持ちの悪い感覚はけれど散々油をぬぐっていた彼女からしたら特に思うところはない。ただ、血のようだと思っただけだった。
氷のような水色の髪が脳裏で瞬く。詰る声が耳の奥で木霊す。愛していた男の顔が、笑った。
指が、震えていた。
雨に溺れて死ねたらいいのに。
雨に殺されたなら、きっとアタシを許してくれるんだろう、なあそうだろ。
ぶしゅりと腕だったそれを握りつぶす。強くつかんだだけで腕の皮膚を装っていたゴムはぶちりと破け、中のガラクタめいた部品が転がり落ちた。それすらも雨に打たれて散らばって泥の中に沈んでいく。人間もいつかこうなるというのなら、今すぐ雨に飲まれて泥の中に沈みたい。
そんなくだらない願望の捌け口を探すことに夢中になっているブラジェナは、だからこそ背後から声をかけられたとき大げさなほど肩を震わせたのだった。
「人形の腕を握り潰すアホタレが人形なんぞ治せるんか」
ブラジェナが振り返った先には、もじゃもじゃの髪にぐるぐるとふざけた瓶底眼鏡をかけた男の姿があった。口髭こそ立派ではあるがわずかに見える肌は若い男のものだ。既知の相手だったのか、ブラジェナはへっと顔を歪めて人形の腕から手を放した。ドシャガシャンと落ちる音を聞きながら彼女は立ち上がり傘をさす浮浪者のような姿の好敵手――グロスビーに、口元を覆うマスクを剥ぎ取りふざけた語調で返す。
「うっせ、アタシだってやりゃあできんだよ」
「お前には配管工なんぞむいとらん。さっさと自分の本分に戻ったほうが身のためじゃな」
いつものようにばかげた回答で互いを愉快にさせるのだろうと思っていたブラジェナは、だからこそグロスビーの言葉に息を飲んだ。ぴしゃりと吐き捨てられた声は雨の中に埋もれて死んでいく。ブラジェナがしっかりと受け取ることができなかった言葉は、死んでいく。
ぐるぐる眼鏡の下で、薄紅色の電球が光を放ったようだった。
「あの機械人形はわしが治した」
「――は?」
言葉の意味が、つかめなかった。聞き返す声は雨の中吸い込まれて消えていきそうになるが、グロスビーはそれを確かに聞き取って強い声でもう一度いった。
「あの機械人形は、わしが治したといったんじゃ。お前の家からかっぱらってやろうとした廃材代わりにだがな。小娘が困っておったぞ、いつまでもお前が帰ってこないから出られないとな」
「……何をッ――なに勝手なことやってんだよおい!! なんであんたが、あんたがそんなことやんだよっふざけんな!!!」
激情に任せた声は明らかに震えと怯えが混ざっていた。動揺のせいで視界が歪む。肺が握りつぶされたように呼吸をすることが苦しくなった。傘の下でグロスビーという男は涼しげな顔をしたまま立っていた。ただ目だけが、強い光を発してブラジェナを射抜いた。
「お前がちんたらしとる間に物事は進む。しばらくしたら機械人形もまほろばの島捜索に駆り出されるだろうよ、その間お前は何をしている?
それでお前は何を産む?」
答える言葉を、彼女はまだ知らない。